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◆人々の心をつなぐ「よさこい祭」
前回レポートの城島酒蔵開きでもご紹介しましたが、今からご紹介する久留米市の三潴町(みづままち)も城島町と並んで酒どころとして有名な町。2005年度、新たに福岡ブランドとして推薦(すいせん)されている醸造元「杜の蔵(もりのくら)」さんも、この町の企業さんなんですよ〜。その三潴町を、今回は町内に数多く存在するという歴史的スポットを中心にご紹介したいと思います。
と、その前に。三潴町と言えば、まず「よさこい祭」をご紹介しなくては!高知県が発祥(はっしょう)のこのお祭は、鳴子(なるこ)と呼ばれるカチカチと軽快なリズムを刻む1対の道具を手に持ってさえいれば、サンバ調やロック調・古典舞踊などジャンルを問わずに何でもアリな"よさこい踊り"が中心のイベント。
参加者の髪型や衣装も時代の流れと共に派手さを増し、踊りのチームもどんどん個性化が進んでいるそうな。毎年11月第1土・日曜日に行われる三潴町の「YOSAKOIみづま」も2005年で第5回目(第5回は九州・中国よさこい祭インくるめとして開催)。よさこい踊りの参加者だけでも総勢100チーム5000名もの人が集まる大規模なものとなりました。
どの踊りも、見ている者の心を高揚(こうよう)させる不思議なパワーを持っていて、お祭りをつうじた独特の一体感は他に類を見ません。その片鱗(へんりん)は前回ご紹介した城島酒蔵開きでのステージイベントでも感じ取れますよ〜。
◆三潴はかつて県だった
さて、今回最初にご紹介するスポットは「弓頭神社(ゆみがしらじんじゃ)」。三潴町内最古の神社として知られ、お祀(まつ)りしているのは水沼別(みぬまわけ=水別君[みぬまのきみ]=景行天皇の子孫とされる筑紫地方の古代豪族)の始祖:国乳別皇子(くにちわけのみこ:映像中では最後を「オウジ」と読んでしまってます。ハズカシー!)。
三潴町は、鎌倉時代以前"水沼の県(みぬまのあがた)"と呼ばれていたそうな。つまりは当時、この地方が沼地であったことが言われているんですね。その現(あらわ)れか、各地の遺跡からはたくさんの貝類が出土しているそうです。そして、こちらの弓頭神社には同じく出土した古代の銅剣や石包丁・石棺(せっかん)などが所蔵され、いずれも町の文化財に指定されているんですって。明治6年には郷社(ごうしゃ:昔の社の格付けのひとつ)にも選ばれたそうですよ。由緒(ゆいしょ)あるお社なんですね〜。
◆永い歴史に塗り替えられたお墓
その弓頭神社でお祭りされている国乳別皇子のお墓が「烏帽子塚古墳(えぼしづかこふん)」なるところ。東西258m、南北100m、周囲712mという巨大なお墓だったと記されていますが、およそ2千年の時を経(へ)た現在はその面影(おもかげ)もなく、小さな石塚の上に1本の萵苣(ちしゃ)の木が生えているのみ。また、烏帽子塚というその名前から当時は前方後円墳だったのではないかと言われています。なかなか想像力をかきたてられるスポットですね〜。
◆かわいさは健在!ポッポ汽車
歴史的なつながりで飛ばしちゃいましたが、弓頭神社のすぐそばでは「ポッポ汽車」という蒸気機関車(元は致津遊園[いとうづゆうえん]の所蔵)が道沿いに展示されています。
かつて大川→城島→大善寺を結んでいた大川鉄道で地域の人々の足として活躍し、"ぽっぽ汽車"の愛称で親しまれていましたが、バス運行に押されて昭和26年に休止し、昭和41年には正式に廃止となったそうな。しかし、今でもそのカワイイ姿は健在!遊歩道となっている当時の線路跡もとってもユニークで、思わず足を止めてしまう和(なご)みスポットでした。
◆約2000年の歴史が眠る古墳
次にご紹介するのは「高良御廟塚(こうらごびょうづか)」という古墳スポット。お墓の主は高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)という古事記や日本書紀などの神話に登場しない土着神(どちゃくしん)とされる神様。レポート第56回でご紹介した高良大社の主祭神(しゅさいじん)としても知られていますね。
こちらは直径約20m、高さ約2mの円墳なんですが、昭和20年頃までは貝殻に覆(おお)われて塚全体が白く見えるほどで、辺りには黒曜石のヤジリや土器、石器などが落ちていて気軽に拾える状態だったそうな。そこで心ない愛好家たちが次々と持ち去ったために塚全体が黒ずんでしまったんですって。加えて雨などによる風化も進んだため、現在は土をかぶせて塚の保存が図(はか)られています。また、お隣には月読神社(つきよみじんじゃ)なるお社もあるんですよ。
◆今なお歴史情緒あふれる犬塚城跡
まだまだあるぞ歴史的スポット。「犬塚城跡(いぬづかじょうあと)」は、応仁の乱(1467年)の頃、室町幕府の九州探題職だった渋川教直が筑後の土豪(どごう)の行動を探るために築城(ちくじょう)したお城の跡地で、太閤秀吉の九州平定で没収(ぼっしゅう)され廃城(はいじょう)となるまでの120年に渡って筑後の歴史と共にあり続けた縁(ゆかり)深いスポットです。
大正3年、三潴郡の耕地整理で城堀(しろぼり)は埋(う)め立てられ、城跡としての面影(おもかげ)も後に建てられた天満宮を含めて辺りにわずかに残っているのみですが、その歴史的情緒(れきしてきじょうちょ)は色あせることなく今も息づいています。
◆全国一を誇る「みづまの松」
三潴町レポートのラストは「黒松」です。そう、三潴町は黒松の産地としても有名なんです!なんでも筑後地方は日本三大植木どころのひとつだそうで、特に庭園用の「みづまの松」は、その独特の仕立てと植栽(しょくさい)の規模(約60ヘクタール)において全国一を誇(ほこ)っているんですって。し、知らなかった!
十連寺公園なるスポットそばの一帯は多数の植木業者さんが集中するまさに植木スポットで、そこを横切れば大小様々、また個性的かつ芸術的な多数の松を一挙(いっきょ)に堪能(たんのう)できちゃうんです。中には1本1千万円するような高級な松もあるそうですぞ!なんだか見るだけでもドキドキしちゃいますね(笑)
さて、三潴町のスポット紹介を長々とお送りしてきましたが、ここにはまだまだ歴史的スポットが眠っていそうですね〜。古墳巡(めぐ)りをするもよし、神社巡りをするもよし。皆さんもレポートを参考にオリジナルの三潴巡りコースを探索(たんさく)してみてくださいな!
最後に、雨が降りしきる中、遅くまで撮影にご同行下さいました三潴町商工会の経営指導員:富松裕策さん、同補助員の廣重美香さん。ご協力本当にありがとうございました!
レポートdate:2006.2.15
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